×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
歴史を啄ばみ 集めて(c)
ただ今バイトから帰宅したばかりでございますアニョハセヨ★
雪、マジで降ってました。ネオン眩しい歌舞伎町の空に舞う白い断片も奇麗だったけど、誰も居ない夜道にしんしんと墜ちてゆく雪の、なんと静かで厳かなことか。今此処で、息づいてるのは自分だけと云う感覚に、えもいわれぬ安堵と虚無がこみあげる。
でも電車止まんなくて良かった。
昨日は冠婚葬祭の企業を見てきました。婚礼と、葬祭が主な事業だそうです。なぜこの企業を選んだのか未だ理解に苦しむ。ここの説明会に参加しようと思った自分に小一時間問い詰めたい。リアルおくりびとになるつもりだったのか?
葬儀屋って職種も、不景気に左右されないから狙い目かなと思ってはいるのですが。人身事故とか火事とかの要素を考えると躊躇う。故人に失礼だと分かってはいるけれど、正直な話ご遺体の損傷が激しすぎる依頼主を受け入れる度量はわたしには無い。
でも常に死を身近に感じられる仕事ってのもなかなか稀有だとは思う。生と死はいつの時代も、人の心を掴んでやまないものだから。傲慢だと知っていても、わたしはその理由を知りたいと心のどこかで思っている。あんなに死が近しいものだと、人生観変わりそう。
インド行くと人生観変わるって云いますよね。その流れで最近気になっているのが「鳥葬」チベットの伝統的な弔い方の一つで、ご遺体をばらばらに解体して鳥に食べさせ、天へと還すという思想から来ているらしいです。
何だかギリシア神話のプロメテウスを思い出すけれど。まぁこっちは拷問だから全然別物でしょう。
ガンジスに流れる焼死体のそばで沐浴するってのも大変ショッキングだろうが、こちらも異文化の民からしたら猟奇以外の何者でもない。だから興味本位で見てみたいとか絶対思えない。その前に自分で書いてるくせにグロイの駄目だからお金貰っても拝見したくありません。
でも興味本位な野次馬根性で拝見しても、それは死者の尊厳を汚すことに他ならないし、未開発の地と呼ばれる土地の風習を上から目線で暗に貶めているようなものだから、異文化理解には繋がらないと思うわけで。やはり「異なっている」からには、理解できない部分もあってしかるべきだし、それを無理に理解しようとしてもそれは限りなく不毛に近い行為なのではないかと思う。
儀式のよしあしを論じるのではなく、その光景を見て、知って、自分がどう感じたか。恐怖でも嫌悪でも崇拝でも衝撃でもいい。ありのまま浮かんできた感情を、自分がどんな風に受け止めたか。それを冷静に純粋に見つめて偽らないことから、理解が生まれるような気がする。
……あれ、何云いたかったんだっけ俺は。
…………。
難しいこと考えるの飽きたので、寝ます←
PR
この記事にコメントする